菜園日誌

240517〜240528菜園日誌・近況〜農園復帰報告。

2024年5月28日 火曜日 曇り

菜園日誌をしばらくお休みしておりました。大変ご心配をおかけしました。ネット環境がない状況で過ごしていたものですからご報告が今日になってしまいました。

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振り返りますと・・

5月16日 木曜日 午前・防除(ブドウ萌芽期ののカスミカメ防除)。午後は、新植ブドウの畑で木柱設置。この時、木柱を担いだ際に、木柱から這い移ってきた小動物(アリ)にうなじ辺りを噛まれたようで、少し痛かったのですが、わりとすぐに何ともなくなって、そのまま労働続行・・して、何ともなかったのですが、・・・。

5月17日 金曜日 朝、少し喉の違和感。風邪でも引き始めたのか・・気にせず、そのまま農作業。新植ブドウの畑で番線張り、誘引。午前中で完了。ブドウ新植のエクストラ作業はほぼ一段落。

 午後、久々の札幌行き。農作業はお休み。クルマを運転していて猛烈な眠気。そのため、クルマで行くことは諦め、札幌の自宅の駐車場にクルマを置いてて、タクシーでD高校へ。夕刻、K学園の監事の仕事。その後、地下鉄で大通へ。J堂の喫茶にて時間調整。体調不良のため、コーヒーの代わりにホットミルク。19:30、Mpのお店でY先生と会食・・とはいうものの、体調不良で料理を食べることができず、21時には早々に失礼して、徒歩で地下鉄の大通駅へ。絶不調、ブルブル震える悪寒戦慄、発熱。札幌の自宅に帰って蒲団に潜り込んだ。

5月18日 土曜日 左頚部圧痛、顔面の痛み。 午後は蒲団のなかで過ごす。夜、家人に運転してもらってM町の自宅へ。 

5月19日 日曜日 家族は朝から農作業。私は、悪寒・発熱あり、蒲団を2枚掛けて寝て過ごす。左の顔面の腫れがひどく、左の眼瞼がひどく腫れてきた。夕刻、左頚部の痛みが悪化、さらに右の頚部・うなじ・顔面にも痛み・熱感が広がってきた。激しい悪寒、何枚も重ね着して、地元の救急夜間外来受診。取り敢えずのミノマイシンの処方をいただき帰ってきた。夜、初めて体温を計ったところ、39.8℃、かなりの高熱で、寒くて震える。症状の悪化からこのままでは危ないと判断し、家人からM先生に電話してもらって受診依頼。M先生は、家人の同僚だったこともあり、その後、(広い意味での)私の前職場での同僚。のみならず、17年前に家族が長期に亘る入院治療を受けたときの恩人(主治医)。以来の長いお付き合い。

5月20日 月曜日 朝、家人にクルマを運転してもらって、S医大病院を受診。左の顔面・瞼などが腫れ上がって、外来担当いただいたT先生に見せられるような顔ではなかったが・・面目なくも・・受診。お昼前に入院のための諸検査。

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・・と、このような状況で、S医大病院に入院させていただき、顔面・頭頚部の蜂窩織炎(丹毒)の診断で、5月20日(月曜日)から5月27日(月曜日)までの7日間、抗生剤(セファゾリン)の点滴注射の治療を受けました。5月25日(土曜日)ごろからは顔面頭部の腫れ・発赤・熱感・痛みなどもほぼ解消しました。膨らんで赤黒くなっていた顔面や眼瞼もほぼ復旧。昨日27日の朝、退院して参りました。M先生・T先生、看護師そして病棟スタッフのみなさま、本当にお世話になりありがとうございました。いっしょに入院していらっしゃった同室ないし隣室の患者さまがた、どうぞお大事になさってください。

 繰り返す激しい熱・・といえば、私、真っ先に思うのは、平清盛さまのご病状ですが、今回の私も、熱の激しさだけなら清盛公に引けを取らぬ厳しさを経験したように思います。これが抗生剤のない時代であれば、恐らく確実に死んでいたであろう・・そう思うと、数年前のハチ刺されアナフィラキシーに次いで、今回再びロックフェラー現代医学のおかげで命びろいしたことになりました。

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・・本日、5月28日の朝からは、ブドウ畑に復帰して、ブドウの新梢の芽欠き作業に加わっております。

 さすがに7日間もほぼ寝たきりだったので、脚がフラつき、心もボンヤリと「帰ってきた浦島さん」状態です。お天道さまから10日ほどもご無沙汰してしまいましたが、明るい陽の光を浴びているうちに、これからまた少しずつ慣らしていけると思います。

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